卓越した課題発見のスペシャリスト
中小企業診断士 藤田 千晴
1958年 |
北海道札幌市生まれ
北海道札幌南高等学校卒業
小樽商科大学卒業。 |
1982年 |
大手ゼネコン(総合建設業)入社。
購買部門、作業所勤務を経て、情報システム部門において全社ネットワークの構築、業務改革における業務システム開発などの責任者を歴任。
工事進捗管理やグループウェアなど複数のシステム開発が同時並行となった時、それらのプロジェクトを管理するする手腕は特筆すべきものがあった。それは、社員のみならず多くの社外の人を束ね、多士済々の人を効率的に動かすことができたことによる。
社内のシステム開発のみならず、社外の中小企業のIT化の相談も数多く受け、対象会社の全体像を見定めた上でIT化のアドバイスを行っていた。 |
2008年 |
中小企業診断士試験に合格した後、実務補習を経て、中小企業診断士として経済産業大臣に登録。
受験の決意から合格まで1年半と短く済んだのは、きちんと段取りを踏んで受験勉強をしていったからと思われる。 |
2009年 |
中小企業診断士として独立。
経営改革を中心として、今まで社内外で経験した数多くの成功と失敗事例を活かし、経営者の良き相談役として活躍中。
経営者向けのセミナー講師としても、「わかりやすい!」「元気が出た!」「聞いていて楽しい!」と参加者の評価が高い。特に、具体的な事例にもとづく話が、「なるほど!」とか「自分の会社でも試してみたい」という評判で、さすが、卓越した課題発見のスペシャリストですね!という声が上がっている。 |
"卓越した課題発見スペシャリスト"

誰も気にかけてくれない・・・
大学を卒業後、一部上場の大手ゼネコンに入社して、その会社一筋でサラリーマン時代を生きてきました。40歳過ぎまでは、同期の中ではトップの出世。情報システム部門の幹部まで昇りつめました。
ところが、43歳のときに会社が合併。46歳のときに、情報システム部門も統合かつ孫会社化。合併会社にありがちな派閥抗争に巻き込まれ、IT系の孫会社に出向となりました。
仕事も権限もなくなり、会議にも呼ばれることもなくなってしまいました。何をしてもしなくても誰も自分のことを気にしなくなっていた・・・
しかも、出向先の社長は非常に無能な人物で、会社経営にも情報システムにも全く知識や見識が無く、IT企業の社長としては全く不適切で不的確な人物でした。
「これじゃ、ゴミ会社で一生飼い殺しだな」
画に描いたような窓際に座り、誰も自分を訪ねてくることもなく、頼られることもなく、つまらなさでいっぱいでした。昔はすごく仕事が楽しかったのに。
さらに目をかけて将来を期待していた部下が長期入院し、加療の甲斐無く会社からドロップアウトしました。
「どうなるんだろう・・・おれ・・・」と悩み、『将来への希望』をまったく失ってしまいました。
「自分でこの環境を変えるにはどうしたらいいのか?
かつて自分の面倒をよく見てくれた上司も会社を退社。相談したり頼める人が誰もいない状況で、考えたこと。
「自分でこの環境を変えるにはどうしたらいいのか?」
まず、そう自問して、いまの自分の環境を冷静に分析しました。
自分を拾ってくれる人が社内にいない中で、努力に見合った成果は得られるのか?
答えは、NOでした。
そこで、会社を辞めて独立するという選択をした場合のリスクとリターンを考えました。
まず、下請けの業者さんとお付き合いをしていて、その会社の社長さんと話をしないと意味がない、ということを身に沁みて体験していました。
社長さんが信用して会ってくれそうな肩書きを持っていればなんとかやっていける、という変な自信がありました。
そうしたときに、経営コンサルタントであることを証明する国家資格が中小企業診断士であるということを知り、これだ!という確信を得ました。この資格なら、社長さんに信用してくれそうだ、と。
そのときは、中小企業診断士なる資格を取得するにはどうしたらよいのか、ということは詳しく調べませんでしたが、とにかく「この資格を取れば、自分の力で、人生を変えられる!」という『将来への希望』が見えてきました。
その結果、難しい試験勉強に向かう姿勢にも力がわき、楽しい毎日を過ごすことで、試験勉強の結果にも現れてきたのです。
うちの病院ではこれ以上治療できません
1年半という短い学習期間で中小企業診断士の資格に合格し、50歳で独立することができました。独立にあたって決めたことが2つありました。
ひとつは、お金にならない相談でも一生懸命取り組むこと。
もうひとつは、社長の悩みやトラブルから逃げずに、すべて受け止めること。
理由は、サラリーマン時代に窓際に追いやられていたとき、雑誌社からの依頼で外部の会社のITの無料相談を引き受けて、とても喜ばれた経験があったからです。
また、大型プロジェクトの責任者になったときに、最後の最後になって下請けのソフトハウスの業者の方に逃げられて、社内で窮地に陥った経験からです。
この2つを徹底することにより、1年目から、営業経験なし、人脈なし、という中、応援していただける方のおかげで、順調にお仕事が回ってきました。
そんなときに、2011年1月、突然妻が病気を発症しました。東京の大きな病院に行って検査を受けると、医師から、次のように言われました。
「奥さんは、100万に1人の難病です。うちの病院ではもうこれ以上治療できません」
医師からこの言葉を言われた瞬間、驚きと寂しさとつらさで、なにも言葉が出ませんでした。
その時、妻が言ったことば。「ここがだめだったら、どこを頼ったらいいの・・・」
それでも、わたしは諦め切れず「知り合いのツテを探せばなんとかなるから」と言ってなんとか妻を励ましました。家に帰ってから、必死でインターネットで調べていると、妻の病気に関して日本で唯一専門としている医師が大阪にいることがわかりました。
その先生に「是非治療をお願いします」という旨のお手紙を出すと、「今の患者さんが手一杯で新規の受付はしておりません」と断られました。そこで、また必死になって知り合いのツテを探し、その先生にコンタクトできるルートをなんとか見つけることができました。
やっと念願の先生にお会いして診察していただくと、先生は「奥さんは、大丈夫ですよ」と。
この言葉に、妻と二人、言葉では言い尽くせない勇気を与えてもらいました。そして、数ヶ月の治療の結果、妻の病気が治ったのです。
この経験からわたしが痛感したこと。
社長さんが窮地に陥ったときに、「社長、無理です」という最後を通告をしてはいけない。知恵のあるものが必死になって考えれば『将来への希望』の糸口は必ず見つかる、ということです。
なんでこんなことまでして、一生懸命尽くしてくれるの?
お金にならない相談でも一生懸命取り組むという姿勢で、必死に仕事に取り組んでいた結果、1年目に、中小企業診断協会の東京支部の災害復興担当に任命されました。士業が集まる災害復興まちづくり支援機構のメンバーにも選ばれました。
そして、2011年の3月11日の東日本大震災。災害復興まちづくり支援機構のメンバーとして、毎月、支援活動のため現地に入ることになりました。
現地に入って目の当たりにしたこと。
多くの人が、仕事をなくし、家をなくし、家族の誰かをなくしている、という事実。
そんな状況で、何から手をつけていいのか?何をしたらいいのか?わからず、避難所や仮設住宅の中で悩んでいる姿でした。
社長さん方は、行政や商工会にも相談に行けず、『将来への希望』を見失っていました。自分のことだけではなく、従業員や顧客のことも心配だが、この状況の中でどのようにしたらよいのかわからない。
「ああ、こういう状況になると、あれもこれも考えられなくなるんだな」そう実感して、とにかくひたすら困りごとや悩みごとの聴き役に徹しました。
はじめは社長さんの困りごとを解決しようと意気込んでいましたが、人間関係ができていないうちは、ただ聴くだけでいいということに気がついたのです。
毎月2回現地に通い続ける中で少しずつ信頼関係ができてくると、相談者である社長さんに『将来への希望』が見え始め、わたしの相談を待ち受けている人が出てきました。
具体的には、「こういう風にしたらどうですか?」とか「こういう風にしたらうまくいった事例がありますよ」とか「こういう補助があるから利用してみませんか?」という解決策をいくつか提案してみたのです。その結果、「これはできるかもしれない!」と社長さんが思うと、目の前に具体的なテーマが見つかるのです。具体的なテーマが見つかると、どうやったらそれが実現できるのか?ということを考えられるようになるのです。
こうやって一つ一つのステップが具体的に見えてくると、人はどんな状況でも『将来への希望』が見え、そして生きるエネルギーが湧いてくるものなのです。
そんな時、ある社長さんがわたしに聞いてきました。
「藤田さんは、なんでこんなにまでして、俺達のために一生懸命に尽くしてくれるの?」
社長さんとしては、毎月手弁当で来てくれて、しかし何も支払うことができないために、申し訳ないと感じていたのです。
わたしは、正直に答えました。
「こういうところで皆さんのために頑張れば、どこかで自分に良いことが返ってくると信じているからなんです。自分のためにやっているので、気にしないでください」と。
その言葉を聞いた社長さんは、わたしに以前にも増して距離が近く感じたのか、「じゃあ、俺たちのことをどんどんセミナーとか話のネタに使っていいよ! そして、もっと現地のことをしっかり広めて欲しい!」と言ってくれました。
わたしにとって、被災地であるなしに関係なく、現場や現地は真剣勝負の場です。現場ではいつも、本気で本音です。そこにいないと肌で感じられないものがあります。
現場に身を置くことで、今まで経験してきたこと、勉強してきたことが一気に試される。現場はそういう鍛錬の場です。
サラリーマン時代にわたしを鍛えてくれた作業所の所長、そして私のコンサルティングの技量を鍛えていただいた被災地の社長さんに、もっともっと恩返しをしていきたいという想いがあります。
わたし藤田千晴の使命
「藤田さんと話していると元気になるね」
「いま自分がどこにいるのかがわかると、安心するね」
と、次の一手がわからず悶々としている社長さんに『将来への希望』を持っていただけることが、わたしの一番のよろこびです。
『将来への希望』さえ持てれば、一歩前に足を進めることができるからです。
セミナーに行ったり、本を読んで勉強したけど、「いったい、うちの会社はなにをしたらいいんだ!」と嘆いている社長さん。
悩みが解決しない一番の理由は、その悩みが難しいことだからではなく、目の前のことしか見えず、問題の本質をわかっていないからです。
本当の課題を見いだせず、間違った課題をピックアップしてしまうと、その後に打つ手はすべて的外れになってしまいます。
わたしは、悩みを聴くだけで、会社の本当の課題を発見します。そこから、今日から実践できることを見つけていきます。その一つ一つの作業を社長さんとともに行うことで、社長さんに『将来への希望』を持っていただけるようになるのです。
「どうしたら営業マンが、自然にやる気を出してくれるのか・・・」
「
こういった時代に、将来の会社の方向性がわからない・・・」
「なんで、これだけ一生懸命仕事をしても、成果が出ないのか・・・」
「今度震災が起きた時、うちの会社どうなるんだろうか?」
「自分で興した会社を、息子にはキチンとした形で渡したいのだけども・・・」
そう一人で嘆いている社長さん。
あなたの悩みを、わたしに、話してみませんか?
卓越した課題発見のスペシャリスト
